Wednesday, November 30, 2005

人民の生活のうちにつつまれているその可能に立って、古典を学ぶこそ、明日の人民のゆたかさになる。一九三三年ごろ、古典は、そのようには学ばれなかった。やっぱり古典は大したものだ、という風にむしろ、既成の勢力に従順になってゆく方向でうけいれられ、その社会心理は、日本ローマン派の亀井勝一郎、保田与重郎などをいつしか日本民族の優秀と絶対主義を宣揚する「古典」崇拝に導いて、「桂冠詩人としての日本武尊だの、万葉の歌人たち、或いは恋愛の女詩人和泉式部の再発見という風に進んだ。日本の文学は、そのように古典を学んだことで、却って、現代文学としての砦(ケルン)の所在を消し、より早く軍御用とさせるに役立った。

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